6 秘境へ
秘境、アッサム・メガラヤ地方
6 秘境へ
秘境、アッサム・メガラヤ地方
11/30( 金) 「秘境」アッサム地方に来た。
7時頃、車内販売の少年達から、熱いミルクティーと新聞を買う(写真右)。これから行くアッサムの地方新聞で、一面に「毛沢東主義者が要人テロ」。
これから旅をする、アッサム地方を中心とするインド東北地方は、実は「地球の歩き方・インド編」にも記述がなく日本人にとっては「秘境」なのである。これは、外務省から「渡航の是非を検討してください」という「渡航自粛地域」に指定されているためである。アッサム地方を旅したいとは以前から思っていたが、バラナシーで会ったアメリカ人が「あそこはインドでは一番自然が豊かで美しかった。政治的不安定さが言われているので旅行者が少ないが、地域を選べばまったく問題ない。」との話を聞いたのがきっかけだった。ダージリンに行く列車で話をしたインド人の兵士に「アッサム州とメガラヤ州では全く問題がない。ぜひ旅行をして欲しい。」との話を聞いて決めた。私は、政治的に不安定なところに行く冒険心は無い。少しでもそのような動きがあればさっさと引き揚げたいと考えている。昨夜、NJP駅の「上級車両待合室」で会った別のインド政府の役人とも話をした。その方は、良いホテルを教えてくれて、「自分の名刺を示せば少し安くしてくれるはずだ」と親切にも名刺を渡しにくれた。そして今、この列車に乗り合わせたインド人(ときどき問題がある州といわれるマニプール州・インパール出身の人たち)の話を注意深く聞いている。
このインド東北部は、ブータン、中国(チベット)、ミャンマー(ビルマ)そしてバングラデシュの4カ国に囲まれ、狭い回廊でインドの西ベンガル州に接している。7つの州からなっていて、皆が「安全」というのはアッサム州とメガラヤ州だけ。残りはなにがしか「インドからの独立」を目指す「過激派」グループが居るという。そのため、アッサム州とメガラヤ州以外は政府の許可証が無いと外国人は旅行できない。今日乗り合わせたインド人によれば、その「反政府運動」の指導は隣接する国の「共産主義者」がしている、という。今日の新聞に載っている事件もアッサム州とミャンマーに挟まれたナガランド州で起きたようだ。
今日乗り合わせたインド人の住むところはマニプール州の州都、インパールである。第二次大戦中、日本軍がビルマからこの地を攻略し悲劇の戦場になったという知識はあり、そのことを聞いてみた。彼の話:「あの戦争の時、マニプール人は日本軍と協力して英軍と戦った。そして、大戦後、1947年から49年は独立王国であった。しかし、その後の動きの中でインドに強制的に編入されてしまった。」彼の言うような歴史があったことは初めて知った。事実関係が正しいかどうかはわからないが、そのような感情が政治的不安定の原因になっているのであろう。
同じインド人の話:「インドには兵士が多すぎる。インドの人口9億人に対して、兵力は70万人である。原因の一つは失業対策で、もう一つは隣接国との関係だ。インドの隣接国は南から、スリランカ、パキスタン、アフガニスタン、中国(チベットなど)、ネパール、ブータン、ミャンマー、バングラデシュの8カ国である。そのいずれも民主体制でないかあるいは国内に大きな反体制グループを抱えている。」
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アッサム州・グワハチ到着
そんな話を真剣に聞いたり考えたりしているうちに、午前10時頃大河を渡った。ブラマプトラ河だ。アッサム州を貫いて流れる大河である。10:35分、時刻表の定刻より6時間35分(!)遅れてわが急行列車がグアハチ(Guwahati)駅に到着した。
近くのブラマプトラ河へ。河辺に騎馬像がある。夕闇が迫っている。
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レストラン探し
ここは午後5時にはもう真っ暗だ。インド国内は時差が無いので、東の地方は日の出、日の入りが早いのだ。暗くなると夕食が次の関心だ。サイクルリキシャーで町の中心部に行く。意外と大きな町である。しかし、お目当てのレストランがない。はっと思い当たる。そういえば、インドではこのグアハチに限らず街中でレストランを見つけるのが難しいことを。あることはあるけれど、数が少ないのだ。ホテル内にはほぼ確実にあるけれど。
同じアジアの国を思う。日本や、中国ではいくらでも街中で「食べ物や」がある。でも、インドの町には無い、というかとても少ない。飲み屋なんかほとんど見かけない。インド人は昼ご飯はどうしているのだろう??
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街中の店に並んでいる商品は別に変わったものもなく、世界中どこも似たり寄ったり。「The World Is Flat.」という書名を思い出しながら歩く。ホテルのレストランに入り損ね、駅へ。そこで、明日行く予定のメガラヤ州方面に行く交通機関のセンターを見つける。わがロッジへ帰ってそこの食堂でカレーをいただく。さあ、今日も早寝だ。
12/1( 土) アッサム州の南、メガラヤ州・シロングへ
シロングの町はこぎれいで好感が持てた。街中を通った。サリーを着ている女性は比較的少ない。そういえば、ここには銃を持った兵士も見かけない。スズキ自動車のタクシーも感じがよい。運転手がメガラヤ州の言葉はカーシー(Khasi)語で、「ありがとう」は”Khublei shibun”というんだ、と教えてくれる。メガラヤの人たちがアーリヤ系なのかモンゴル系なのか判断できなかった。(後日注:メガラヤの「カーシー族」は、オーストロアジア語族(ベトナム、タイ、ミャンマー、カンボジアなどの民族を含む)に属す。)この州はインドとは民族が違うが独立運動などの動きは無い、ということだ。
予定していたHotel Pinewoodに着く。泊まりたい旨告げて、あのインド人の名刺を見せたら効果てきめん、グレードの高い部屋に安く泊まれることになった。広々とした部屋はやはり寒いが、すぐ暖炉をあかあかと焚いてくれた。また、インターネットはロビーで使える高速ブロードバンドのワイヤレス。ホテルの従業員もとても感じがよい。明日のチェラプンジー(Cherrapunjee)へのツアーを予約した。
12/2( 日) チェラプンジー は「大台ヶ原」ー 降水量が世界一、でも今は・・・
チェラプンジーは、世界最大降雨量の地、つまり世界の「大台ヶ原」。それが美しい谷と滝などの景観をつくっているのだという。パンフレットによると、年間降水量は、ロンドン615mm、ワシントン1108mm、東京1523mm、ムンバイ2397mm、ハワイのMt. Waialeale 11,680mm、チェラプンジー12,029mm。また、チェラプンジーで最も降水量が多いのは7月で3,200mm、少ないのは1月で15mm。というわけで、チェラプンジーは夏には一ヶ月で東京の年間降水量の二倍以上の降水量があるが冬はきわめて少ない。
チェラプンジーのNahkalika滝
Seven Sisters Fall (乾期で滝は無い)
ダンス アッサムの若者が音楽に合わせて踊り出した。アッサム人はダンスが大好きで、4月15日に盛大な祭りがあるという(ビデオは下、WindowsではQuickTimeが必要です。ダウンロードは無料)。踊っているのは皆男性である。
インドではたびたび若者のグループに会ったが、男性だけか女性だけの集団であり混成グループに出会ったことがない。インド人に聞いたわけではないが、若者の男女交際はかなり制限があるようだ。
およそ8時間の観光が終わり、皆と別れの挨拶をする。沢山の人から、今日日本人に会えてうれしかった、と言われた。Kure君、Monndal君とはミルクティーで乾杯して別れた。午後4時を過ぎたらもう暗くなる。早々にホテルに戻る。このホテルは、雰囲気も良いし外貨の両替もしてくれてしかもこれまででレートが一番良かった($100 = Rs.4000)。
(ビデオ)
チェラプンジーの滝
Nohkalikai Falls, Cherrapunjee, Meghalaya
左下の▶をクリックすると始まります。
(ビデオ)
アッサムの若者のダンス
左下の▶をクリックすると始まります。
12/3( 月) カーレースのようなドライブでグワハチに戻る。
このホテルで会った政府のお役人から、グワハチとシロング間はヘリコプターでの移動が便利だと聞く。料金はRs950で15分のフライトだという。これは面白い、とさっそく手配するが今日のフライトはもう満席で残念。自動車を使ってグワハチに戻るしかない。グワハチからデリーへは最初の計画の列車はやめて飛行機を使うことにしてチケットを手配した。
グワハチへは、4,5人の乗客を乗せる乗り合いタクシーを使うことにする(Rs150)。 インドで普通自動車でドライブするのは、デリー、ブッダガヤ、ダージリンに続いてこれが4回目である。最初に体験したときは恐怖感を覚えたインド独特のドライブである。グワハチまでは、でこぼこの山道だが、そこを「速度無制限」で走る。制限速度30km/hrという標識を見かけたが、それを守ろうという気持ちはどの車にも無いように見える。前の車に追いついたらクラクションを鳴らす。追いつかれた方はすなおによける。 対向車が来ても すり抜けるように追い越す。曲がりくねった見通しの悪い山道でもこれだから怖い。トラックの後ろには”HORN PLEASE”などと書いてある。クラクションは鳴らしっぱなしでも良いようだ。歩行者がいても徐行はしない。人のすぐそばを猛スピードですり抜ける。歩行者は自動車のスピード権を侵してはならないかのように、これまた上手に走行する自動車を避けて横断している。これでよく事故が起こらないものだと感心する。速度無制限で追い越したり追い越されたりは、ドイツのアウトバーンを思い出させる。そして、混雑してくるとすき間に入り込むカオス的運転はフランスを思い出させる。ドライバーがはっきりとした意志とテクニックを持っていればスピードを出してもすべてはうまくいくんだ、と皆が信じているように感じた。
午後4時にグワハチに到着。前と同じロッジに荷物を降ろし、すぐ鉄道チケット予約センターへ。久美子がインドに来た後のチケットを手配するが、そのいくつかはウェイティングチケットであり、デリーでコンファームするよういわれた。
夜はインド人に教わったレストランに行き、魚のフライを頂く。近くにラップトップを使えそうなインターネットカフェを見つけたので明日試そう。
12/4( 火) ブラマプトラ河遊覧。グワハチから空路デリーへ。
グワハチは外国人観光客が少ないせいか、外貨を両替できるところが州立銀行だけのよう。そこに行く。レートが$100=Rs3770とシロングのホテルよりかなり悪かった。すぐそばの船着き場から渡し船に乗りブラマプトラ河の中にあるUmananda島に渡る。ヒンズー教と思われるお寺があり、沢山の人がお参りをしていた。 Umananda島にて
ブラマプトラ河にはこのような岩の島や砂の中州が非常に多いようだ。アッサム州の首都はDispurで、グワハチから10km離れていると聞いたのでそこに行こうか考えたが、交通渋滞を恐れて止める。さあ、アッサムともお別れだ。
荷物をまとめ空港へオートリクシャーで行く。途中の給油を入れておよそ1時間かかった。大きな夕日が沈んでいくのを見る。SpiceJet航空811デリー行きは1時間遅延ということで、19時20分離陸し22時頃デリーに到着した。ニューデリー駅前に予約していたホテルまでプリペイドタクシー(Rs185)。到着後、NYの久美子に電話した。出発前のあわただしい時で、明るい声をしていた。午前1時頃就寝。